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杉浦千畝氏の「命のビザ」で救われた実在の人物

『杉浦千畝』の名前をご存知でしょうか?

杉浦千畝氏は、第二次世界大戦中、リトアニアのカウナス領事館に赴任していたのですが、そこでナチス・ドイツから逃れてきた多くの難民に「命のビザ」を発給し、彼らの命を救ったことで有名です。

2015年に唐沢寿明さん主演で映画化された『杉原千畝 スギハラチウネ』をご覧になった方も多いかもしれません。

杉浦千畝氏については、それ以前にも、何度も映像化、舞台化されました。

イスラエルのネタニヤ市郊外で、その「命のビザ」で救われた方にお会いしてきました。

彼は当時まだ2歳で、ご両親と叔父様といっしょにヨーロッパに住んでいたそうです。

ご本人は2歳でしたので、当然、当時のことをよく覚えているわけではないのですが、お父さまから何度も何度も、どのようにして杉原千畝氏に出会い、どのようにビザを発給してもらったのかを聞かされたそうです。

当時、日本大使館の前には、連日、日本国のビザを求めるユダヤ人が列をなしていました。

彼のお父様は入口を間違え、台所に通じる勝手口から入ってしまいました。

そこで、食事を準備していた女性に杉原千畝氏の執務室を尋ねていたところ、そこへ杉原氏がトイレから出て来て、「どのようなご用件でしょうか?」とにこやかに話しかけてくれたそうです。

杉原千畝氏は、指にタコができ、腱鞘炎になりそうなほど、毎日昼夜を問わず何百枚ものビザを手書きしていたにもかかわらず、不法侵入者にしか見えないお父様に対しても、紳士的に接してくれたことを忘れることはできないと。

その後、彼らは日本へのトランジットビザを発給してもらうことができ、家族で船に乗って、日本に行くことができました。

日本に着いた後、お父様は、鉄柵が街から消えて行くのを見て、戦争が始まることをすぐさま感じとったそうです。

しかし、彼らは、パスポートを持っていませんでした。

それで、神戸に6カ月滞在し、3回ビザを更新して、最終的に在日本ポーランド大使館でパスポートを作ってもらい、真珠湾攻撃が始まる前に、インドネシア経由でニュージランドにたどり着いたんだとか。

まさに「命のビザ」が支えた奇跡の脱出劇でした。

「杉原千畝が発給した2000人分のビザは、2000人の命を救ったのではなく、この写真に写る私の息子たちと孫たちを含め数万人の命を救ってくださったんですよ」と、
家族の写真を持って語られた彼の言葉が心に残っています。

イスラエルのネタニヤ市には、昨年、日本の斑目氏が寄贈された「プラネタンヤ(プラネタリウム・瞑想センター)」がオープンし、通りに「チウネ・スギウラ・ストリート」という名前が付けられました。


 

イスラエルには、ネタニヤ以外にも、杉原千畝氏にまつわる場所が他にもあります。

30年以上以上前に亡くなった一人の日本人が、遠く離れた国と国の架け橋になっているんですね。

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