スタッフブログ

十字軍の要塞『クラック・デ・シュヴァリエ』の現在

シリアのホムス県西部、地中海まであと30kmほどの山の上に、かつての十字軍要塞『クラック・デ・シュヴァリエ』があります。

2006年、『クラック・デ・シュヴァリエとサラディン城』として、ユネスコの世界遺産に登録されています。
(*2013年、危機遺産リストに登録)

◆クラック・デ・シュヴァリエとサラディン城(ユネスコ公式ページ)

現在残る要塞は、12世紀に聖ヨハネ騎士団が建設したもので、世界で最も保存状態の良い十字軍要塞の1つとして知られています。
パルミラ遺跡と並んで、シリアにおける有数の観光地としても有名でした。

「ここを訪れる観光客は、この場所から見えるクラック・デ・シュヴァリエが一番美しいと言っていたよ」
観光職員のマフムード氏が連れて行ってくれた場所は、政府軍と反体制武装勢力との戦闘で廃墟となったレストランでした。
内戦前は多くの観光客でにぎわっていたそうです。

クラック・デ・シュヴァリエと周辺の村での戦闘は2年以上続き、2014年の春に政府軍に再制圧されました。

廃墟の窓からは、今も、クラック・デ・シュヴァリエのみならず周囲の山々や農村が見渡せ、素晴らしい眺めでした↓。

そこに近所の子どもたちが「「2階に凶暴な犬達がいるから気を付けて」」とやって来ました。
ここで繰り広げられた十字軍とマムルーク朝の死闘について滔々と語っていたマフムード氏は、「どうする?逃げようか・・」と困惑模様。
しかし、当の子どもたちは平然と階段を上がっていきます。


子どもたちが連れてきたのは2匹の子犬でした。
犬の親子が2階に住み着いているようです。

クラック・デ・シュヴァリエ周辺の村の住宅には今も銃弾の跡が残っていますが、住民の多くが帰還しているとのことでした。

ここから、クラック・デ・シュヴァリエへ向かいました。

要塞の入口です。
ここには、シリア国旗と共に、ロシアの国旗も掲げられています。

ロシア兵の姿は見えませんでしたが、パルミラ遺跡の近くではロシア軍の装甲車を見かけました。

城塞の中は静まり返り、時が止まっているかのようです。

誰もいないと思っていたチケット売り場の扉が開き、職員の男性がパンフレットを手に持って出てきました。
「クラック・デ・シュヴァリエにようこそ」
埃をはらって手渡してくれたそれは、10年ほど前に観光省が発行した日本語のパンフレットでした。

内戦前には多くの日本人観光客がここを訪れていたのです。

反体制武装勢力がこの周辺を実効支配していた際、彼らの「本部」がここクラック・デ・シュヴァリエに置かれていたそうです。
「こんな立派な城塞の主になることができて、さぞ愉快だったことだろう。うらやましいな」と、管理事務所の職員は笑っていました。

礼拝堂は、13世紀、マムルーク朝の手に落ちた後に、モスクに改修されました。

十字軍時代のフレスコ画が一部に残っています。

帰りに管理事務所に寄ると、女性達が黙々と、何かを洗っていました。

近所に住むアルバイトの女性達が洗っていたのは、人骨でした。
昨年の夏、ハンガリーの調査隊が、要塞内を発掘した際に発見したものだそうです。

「私達はまだ、クラック・デ・シュヴァリエの歴史のほんの一部しか目にしていないかもしれませんね」
ダマスカスから赴任して間もない考古総局の職員の方がそう話していました。

この場所に平和な日常が戻り、発掘や歴史研究が今後進んでいくことを願います。

keyboard_arrow_up