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破壊された世界遺産「パルミラ遺跡」

パリのノートルダム大聖堂の尖塔が崩れ落ちる映像はあまりに衝撃的でした。
世界の多くの人たちが、大きな悲しみを共有したことだと思います。

パリのノートルダム大聖堂は、1991年、ユネスコの世界文化遺産に登録されました。
「長い歴史の中で生まれ、受け継がれ、将来においても重要性を持つ人類共通の宝物」である世界遺産。
世界中で広くそう認識されてるからこそ、ノートルダム大聖堂の火災のニュースに、国籍宗教を問わず、たくさんの人たちがショックを受け、再建のために多くの寄付が集まっているのでしょう。

シリアのパルミラ遺跡がユネスコの世界文化遺産に登録されたのは、ノートルダム大聖堂登録の11年前、1980年でした。

パルミラは、紀元前1世紀から紀元3世紀にかけてギリシャ・ローマの西方と東方を結ぶシルクロード交易で栄えた隊商都市です。

遺跡は、シリアの首都ダマスカスから砂漠の一本道を車で3時間ほど走ったタドムルにあります。

ずいぶん昔の話になりますが、初めてパルミラを訪れて、ローマ時代の列柱道路を目にした時の感動は今でも忘れることができません。

シリア内戦以前は、世界中から毎年15万人以上の観光客がこの遺跡を訪れていました。

昨年9月、内戦後初めて、パルミラを訪れました。

同行してくれた観光省職員のマフムード氏は、以前旅行会社のガイドとして働いており、ダマスカスとパルミラ遺跡との間を数え切れないほど往復したそうです。
「外国人のツアー客と一緒に、何度も通った道ですね」
日本人観光客も案内したことがあり、日本語の挨拶などを今でも覚えていると話してくれました。

内戦中の2015年5月、IS(イスラミック・ステート)がパルミラ全域を制圧。
紀元1世紀に建てられたベル神殿など、爆弾で次々に破壊していったそうです。

10年ほど前にパルミラを訪れた時には、パルミラ遺跡調査研究の第一人者であったハーレド・アスアド氏に博物館でお会いしましたが、現在は、博物館の展示品は破壊され、アスアド氏はISに捕らえられて殺害されたと聞きました。

2017年3月、政府軍はISを放逐しパルミラを再制圧しました。
現在、パルミラに至る道には、多くの検問所が政府軍によって設置されており、パルミラとその近郊一帯への入境は厳しく制限されています。
道中すれ違うのは軍用車ばかり。一般の乗用車はほとんど見かけません。

パルミラの町に到着し、まずは博物館を訪れました。
(次回に続く)

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