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コトルの時計塔とそれを守る人

モンテネグロの美しい街コトル。
その中心「武器広場」を囲む建物の中に、コトルのシンボル「時計塔」があります。

「武器広場」という名は、ヴェネツィア共和国領時代、ここで軍需品が作られ保管されていたことに由来するそうです。

コトルの時計塔は、1602年、ヴェネツィアの知事、アントニオ・グリマルディの命によって建てられました。
「ブンジャト」という石積みの工法で積まれた、地下1階地上3階の頑丈な組積造建築です。
コトルは、1563年と1667年、1979年など、何度か大きな地震を経験しましたが、地震のために、この塔は現在20㎝程曲がっているそうです。

塔の2つの壁面には、それぞれひとつづつ丸い時計があります。
もともとは4面全部に時計があったのかもしれませんが、2面の壁面は隣の建物に埋もれています。

時計塔の建設から400年以上経っていますが、この2つの時計は今も現役で、正確な時刻を刻んでいます。

実は、それには理由があります。
時計塔の1階に、時計修理店があり、その所有者であるホメン家が、何世代にもわたって時計塔の管理をしているからなのです。

ルジュボミール・ホメンさん。75歳。

ルジュボミールさんは。毎朝8時頃に時計塔に来て、時計の上部まで登り、大きな石を巻き上げて整備をしているそうです。

彼は、12歳の頃、父親にこの仕事を習い始めました。
もともとは、19世紀、この時計塔の修理のためにオーストリアから呼ばれた彼の曽祖父が、コトルの美しさに感動して、ここに移住してきたんだそうです。

曽祖父、祖父、父、ルジュボミールさんと、4代の時をつないで、彼らがこの時計塔を守り続けてきました。
だからこそ、この時計塔は今も30分ごとに正確にベルを鳴らしています。

アドリア海沿いの町にはどこも、コトルと同じように、市の時計塔があるとききました。
そのすべての時計塔に、それぞれの物語があるのかもしれません。

ちなみに、コトルの街は、映画「紅の豚」の舞台だとも言われているようです。

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