アサド政権崩壊後のシリアからの最新情報
12月8日、シリア北西部を本拠とする反体制武装勢力、「シャーム解放機構」とその同盟勢力が、首都ダマスカスを制圧、アサド大統領はじめ政府・軍の高官の多くが国外に脱出し、アサド政権は事実上崩壊しました。
「シャーム解放機構」が、北部アレッポ県の政府支配地域に進攻を始めたのが11月27日のこと。
ハーフェズ、バッシャール父子による53年にもおよぶ強権体制は、わずか2週間足らずで、あえなく終焉を迎えたのです。
政権崩壊が伝えられた数時間後、ダマスカスに住む友人達に通話アプリで連絡を取りました。
友人の1人は、
「早朝に銃声が聞こえ、静かになったと思ったら、テレビやインターネットで、『アサド(大統領)が国外に脱出した』とニュースが流れ始めた。未だに、今朝起きたことが信じられない」
と驚いた様子でした。
別の友人は、
「午後になって再び銃声が聞こえ始めた。アサド軍(政府軍)が反撃を始めたかと不安だったが、近所の人が『アサド軍の兵士はもう逃げてしまった。あれはウマイヤド広場に集まった人々の祝砲だ」と教えてくれた」
と話しました。
アサド政権崩壊後、初めて迎えた金曜日(12月13日)。
金曜礼拝を終えた多くの人々が、市内中心部にあるウマイヤド広場に向かって歩いていきます。
この日、ダマスカスのほか、シリア国内の主要都市で、「勝利の金曜日」と銘打った、アサド政権崩壊を祝う大規模な集会が行われました。
ウマイヤド広場で行われた集会は、数万人の人々が参加したとみられています。
この集会に参加した友人は大学生。
彼が小学生になった頃には、もう内戦が始まっていました。
学校では、アサド大統領が国民を正しく導いていること、そして政権に反抗する全ての人々は「テロリスト」だと教わってきました。
そのアサド大統領が「テロリスト」たちによってあっという間に国を追われ、ダマスカスの中心部で彼らと記念撮影する日が来ようとは……。
アサド政権が崩壊して1週間が経った12月15日。
ダマスカスの街は少しずつ日常を取り戻しつつあります。
旧市街にあるスーク・ハミディーエの商店の多くも営業を再開し、多くの人で賑わっています。
スークに掲げられている国旗は、新しい国旗(緑・白・黒に3つの赤い星)に替わりました。
国旗の上の垂れ幕には、イランを「テロ国家」と非難する文言が書かれています。
かつてこの場所には、アサド(前)大統領を称賛する文言が書かれた垂れ幕が掲げられており、政権交代を象徴する場所の1つとして撮影スポットになっているとのこと。
アサド政権を支援したイランに対しては、多くの人々が強い反感を抱いているようです。
スーク・ハミディーエの近くには、シーア派の聖地ルカイヤ廟があります。
第4代カリフ・アリーの孫娘ルカイヤが葬られているとされ、内戦中も、イランやレバノン、イラクなどから多くの巡礼者が訪れていました。
アサド政権や、レバノンのシーア派勢力「ヒズブッラー」の支持者達の一部がSNSなどで、「シャーム解放機構」が首都を制圧したことで「ルカイヤ廟などのシーア派聖地が破壊の危機に瀕している」といった主張を行なっていますが、撮影した友人によれば、廟は現在閉鎖されているものの、破壊されたような形跡は無かったそうです。
表門にシリアの新国旗が掲げられているのが見えます。
暫定政権が発足して間もないダマスカス市内ですが、治安は概ね安定していることに加え、通信・電力事情もアサド政権期より若干改善し、野菜や果物などの生鮮食料品も、以前より安く手に入るようになっているそうです。
友人の1人は、
「50年以上続いた強権体制が、短期間で、そして比較的少ない犠牲によって倒れたことに安堵している。イスラエル軍による空爆、そして北東部等での戦闘は続いているが、1日も早い収束を願っている。私達は13年間の内戦で多くのものを失った。これ以上の争い、これ以上の犠牲は耐えられない」
と話していました。
友人のこの言葉は、多くのシリア人に共通する心情のように思われました。
12月17日。
今日もダマスカスでは大きな混乱はなく、明日は国際空港が再開されるとのことです。
これまで様々な諸派が入り乱れて内戦が続いていたので、統治機構、軍、警察機構を再建する過程で混乱が生じるのは必至だとは思います。
でも、今後決して内戦に逆戻りするようなことだけは起きてほしくないと心から願います。